侍女エミリエの大事なお仕事

 皇女宮の廊下からは庭園の様子がよく見える。

 庭園と一口にいっても皇宮にある庭園は数多ある。今回の場合はコの字型の皇女宮に囲われたプライベート庭園のことだ。皇女宮の北棟と南棟に挟まれるように広がる中庭は、一年を通して宮殿の主人に仕える者たちの目を楽しませてくれる。新人の使用人はもちろん、皇女宮に慣れ親しんだ古参の使用人でも時たま足を止めて眺めてしまうことがあるくらいだ。

 かくいうエミリエもウィンザー宮の主人である皇女に仕える人間の一人だ。しかしオペラグラス片手に中庭を眺めるエミリエの表情は真剣そのもので、傍目で見ても庭園の景色を楽しんでいる風ではなかった。

「エミリエ様」

 その背中に淡々とした声がかけられる。だが集中しているのかエミリエはその呼びかけに気づかない。もう一度、今度は少し強めに声が繰り返した。

「エミリエ様」
「ごめん、今仕事中」
「一体何の仕事ですか」

 そう言うや早いが、エミリエの持つオペラグラスが取り上げられた。あぁっ! と悲痛な声を上げるも、振り向いた先には呆れた様子で一人のメイドが立っていた。

「リゼット〜」

 哀れっぽく名前を呼ぶが、数ヶ月の付き合いですでに打ち解けたリゼットは怯まなかった。

 今!
 視界には!
 麗しいこの宮殿の主人とその婚約者が楽しそうに談笑している姿が映っていたというのに!

 はぁ、とこれみよがしにリゼットがため息をつく。

「いいですか、エミリエ様。良家の子女は盗み見なんてしません。これ以上はエミリエ様自身の品格が問われますよ」

 エミリエの情けない声を無視して、リゼットはさっさとポケットにオペラグラスをしまってしまう。こちらが伯爵家の娘であることなどお構いなしだ。いや構われても嫌なのでエミリエもそれをダシに使ったことはないのだが。代わりに真面目な顔で道理を説く。

「あのねリゼット。主人の恋路を応援するのは侍女として当然の義務だと思うの。お二人の仲の良さは皇家の後継者問題にも直結するし」
「それらしいことをおっしゃってますが、要は覗き見ですよね?」
「違いますー。トラブルが起きる前のリスク管理ですー」

 唇を尖らせて言い返す。
 日々の現状把握は物事を成功に導くためには欠かせないもので云々、つまりこれは正当な侍女の権利……ではなく仕事なのだ。

「それに私の記憶が正しければよ? 前回よりお二人の距離が近くなってるの。およそにぎり拳半分くらい」

 勘違いでなければ、リゼットの目線の温度が下がった気がするが気にしないことにする。

「……お二人は政略結婚なんですよ」
「知ってるわよ。貴族の結婚なんて九割が政略結婚なんだから」 

 残りの一割はスキャンダルね、と付け足す。

「でもだからこそロマンスは大事! リゼットは気にならないの? フェノン様がどんな風に皇女様に触れてるかとか、笑顔が前より柔らかい気がするとか、最近皇女様が可愛くなったな〜とかそういう話に興味ないの⁉︎」
「……」

 もちろんない訳はない。知ってるから言ってる。
 現にリゼットは若干たじろいで動きを止めている。チャンスとばかりにススとリゼットににじりよる。

「ところでリゼット。リゼットって恋愛小説好きよね?」
「なっ」

 知ってるんだから、とエミリエは笑う。

「例えば、ちょっと口には出せない刺激的な小説とかも……」

 私なら融通きくんだけどなぁ、とトドメとばかりに耳元で囁いた。

「…………」

 黙ってたリゼットが、苦渋の表情で滑り込ませるようにエミリエの手にオペラグラスを戻してくる。
 よし、勝った。

「これでお二人の恋愛模様を特等席で……って」

 喜び勇んで戻った先で動きを止める。
 庭園はとっくにもぬけの殻だったのである。


   ◇


「二人が心配してるみたい、ってフェノンが」

 リゼットと急いで玄関まで様子を見にいくと、あろうことか麗しの皇女殿下にそんな言葉をかけられてエミリエは愕然とした。
 ずっとこちらを見ていたので、と当たり前のように言うフェノンは特に気負った風でもない。

 この人庭園から、宮殿の数多ある窓の一つでエミリエが見てたことに気づいてたのか? と冷や汗が落ちる。

「宮殿内にいるんだからそんな問題なんて起こらないのに。ね、フェノン?」

 対する皇女様はエミリエが心配していたことをまったく疑ってもいない表情だ。
 何ならドッキリを期待していた。むしろハプニング来い! とか本気で思っていた。だがにこにこと笑う皇女様を前に、そんな邪なことは口が裂けても言えない。

 フェノンは『それだけ殿下が慕われているということでしょう』と無難に返している。皇女にも伯爵令嬢のエミリエにも配慮した百点満点の回答である。そうかな、と照れくさそうに皇女様が笑う。

「でも、そうですね──」

 と、エミリエの愛すべき主がふわりとやわらかく笑う。

「私は二人が大好きですよ」

 その好意の言葉が自分に向いていることに気付くのに一歩遅れた。
 まっすぐな好意に恥ずかしいやら申し訳ないやらで、エミリエは『あ、ありがとうございます』と曖昧に笑う。ちょっと噛んだ。
 こういう時に何でもない風を装って『私も大好きです!』といつもの勢いで返すスキルがあればいいのに、よりにもよってうまくはいかない。元々そんな気の利いた返しができるほど器用でもないのだ。だけど目の前の主人はそんなエミリエの鈍臭いところなんて気にもしないのだろう。

 そんな人だから、好きなのだ。

 でもどうにも伝えるのは気恥ずかしくて、フェノン様も目の前にいるし、と言い訳しながら、私の方が何百倍も大好きなんですからね、と心の中で連呼しておいた。心の中で。

 ちなみに、覗き見していたことはあとで正直に謝った。
 ものすごく怒られた。